蝉と赤トンボと桜と蜜蜂。

 暫く空いてしまいました、皆さま如何お過ごしでしょうか?
 私といえば杉と話し、赤トンボが気になり、桜と話し、鍾乳洞が気になり、武田勝頼と話し、ニイニイ蝉が気になり、波動と地殻と桜と虫の関係性を考えていたら、蜜蜂が居なくなった真相に気づいたので、新記事書いてます。
 スミマセン。何だこりゃ、完全なガイキチだ~っ! いったいぜんたい何のことでしょうか?

 いつものことですが、話がややっこしいので、先ずは結論から。
 アラハバキ(波動の神様)を起動する必要が有ります。本当は然るべき人々がしなきゃいけないようなことです。民間人の私がどうしてこんなことしなきゃいけないのでしょうか?しかし、知ってしまったから仕方ありません。
こころある、時間をお持ちの方は、来たる11/3に大宮氷川神社の一の鳥居にお集まりください。応援賜りたいのです。※詳しくは、ブログ「ヤマダ、読んだ?」をご覧ください。
 それではこの理由を綴ってゆきます。先ずはバカボン一家のチャット会議から。

2012/10/19(Fri)
11:39 山田貢司 突然ですが赤トンボ。
 いつも気になっていたのですが、この時期みな東に飛んでゆく、移動しながら相手を見つけツガイで連なって飛んでゆく。。。。と言うことは、出生地を離れるわけで、移動した先で子孫を残すわけです。これが日本だけの話なら(地球規模でないなら)、普通にかんがえれば種は保てないわけです。なのに昔からずっと同じ。子供の頃からの疑問です。


12:06 サスケ あはあは、シンクロ。昨日タイでゴルフしてたら、沢山の赤トンボがいました。キャディにタイ語でなんというのか聞いたら、マレンポーというそうだ。

13:06 山田貢司 タイの赤トンボはどっちに向かって飛んでましたか?

13:14 サスケ グリーン上にいたのを見つけただけなので、どちらにいったかはわかりません。

15:02 山田貢司
自分が何故赤トンボにこだわるのか?少しずつ見えてきました。
つい先ほどの小麦〈みんみん〉との会話。

山:全ての赤トンボが東に移動したら西が海で隔てられた場所は赤トンボ居なくなっちゃうでしょ。
み:違うよ。赤トンボはただ飛んでるのは一次元トンボでしょ。
壁にぶつかり空間を知ったのが二次元トンボでしょ。
そしてその壁をつたって登って行くのが三次元トンボでしょ。
山:いったい何のこと?
み:んで、東に移動するんじゃなくて回っているの。

と、こんな会話がありました。
そこで皆さまにお願いです。

「北陸の赤トンボはどっちに向かって飛んでゆく?」
これ、調べて頂けないでしょうか。
私の予測では西に向かい、全体として半時計回りをしているかもしれず、波動の理論の証明になる気がするのです。

余談ですが、小麦〈はんにゃん〉がこのチャットの内容を透視しました。昨日のanさんと私のやり取りの「お弁当10人前作るよー」とか、〈ふくちゃん〉の悪口書かない方がいいよ。などと言い出しました。
他の意識体たちに確認すると、実際にこの端末を見たわけではないようでした。
この話、ランチ中だったため、試しに斜め後ろの男性(45くらい)が見ている携帯電話の内容は何?と質問しました。
するとはんにゃんは、「スポーツ観てる」。
私はテーブルのタバスコを返す振りをして、男性の携帯を盗み見ました。すると確かにスポーツニュースを見ていたのです。
やはり、脳電磁場は間違いなく存在します。

15:25 サスケ 男性の脳電磁波を拾ったっチュー事?

15:29 アライ 虚脳どうしの重なりから情報の共有をした?そしたら距離も関係するのかな?

15:36 山田貢司 近くにいてて、勝手に情報が入ってくることが、重なりからの共鳴だと思います。が、ターゲットを絞り読みに行く場合など、意識活動に距離は関係ないはずです。
因みにchachaiさんは距離に関係なく遠隔が出来るでしょう。

16:17 Chachai 赤トンボ一匹だけ見ました西へまっしぐら
16:26 Chachai 今体にうつっている感覚がラー体さんなら 人間のうつ病の人に近い感覚、でも遠隔で効果は出てる どうも白川側に異常があるようです。
平安時代まで遡って歴史を考察するけど、今のような降雪量だと成り立たないふしがある。
なんかやらかした どうしてもそう思えます

16:35 an 京都でも、透視現象が多発しました。2週間ほど続いています。何か動いたのかな
16:41 an 画像
16:43 an 一昨日の京都、保津川の空。雲一つ無いの。

16:44 ノエル 画像
16:45 ノエル 本日 八ヶ岳も快晴 富士山は雪帽子かぶって美しい トンボも沢山 ここの子は白い色が好き
16:46 ノエル 画像
16:48 ノエル 八ツ主峰の赤岳の麓で奥多摩奥秩父の山塊とにらめっこ中
16:50 ノエル 画像
16:51 ノエル 北東秩父の方
16:51 ノエル 画像
16:51 ノエル 奥多摩
16:51 ノエル 画像
16:53 ノエル まずは安全弁を抜いて 
16:53 ノエル 画像
16:54 ノエル 南はちらっと富士山
16:56 ノエル 佐久に下り信濃川にそって新潟まで抜けます。 日がくれてきました、山が黄金色に輝いてます。さて、運転っと(※注:ノエルさんはこの日を挟み3日間、単身岩手県宮城県の山中に入り地下水の意識を治して歩いたのです。取り敢えずではありますが、我々が日常を平和に過ごせるのも、ノエルさんのような方がいて下さるからなのです。)

16:56 Chachai ノエルさん、確かにさっきの写真から圧が下がったよ。

17:11 山田貢司 ノエルさんお疲れさまでした。道中お気をつけて。

17:32 ももすけ お疲れ様です。お気をつけて(^^)/

17:42 an ノエルさん、お疲れさまでした。
ところで、山田さん
明日、金玉ナイトですよね
たまちゃんから、配布物はNGだから、パワポ資料作って来て、とメールきたのですが、
京都イベントと、氷川神社ツアーと、フリエネ活動[ワッシャー販売]…他に、何かインフォメーションありますか?

18:17 an 赤トンボが、ドーナツだって。 いきなりヽ(^。^)丿
18:18 an 今、山田さんと打ち合わせ中に脱線してたら、教えてくれた。

18:19 山田貢司 ちょっと待って、今編集中!

18:20 an 了解

18:22 山田貢司 〈anさんと業務連絡のため裏でしていた会話。〉

an:ドーナツ? トーラスってこと?

山:深読みーーー。
どうなってるんだ、と打ってたらドーナッツを送信してもーた。

an :そか
でも、赤トンボが、ドーナツだって。(※注:anさんは一カ月半前、大宮氷川神社を訪れ、赤トンボからドーナッツの啓示を受けている。その時の写真があり、後述するが今回の記事の重要な手がかりとなってゆく。)
いきなりガイキチ突入。
赤トンボの謎、あまりよく読んでないけど、ドーナツだって、言ってる。

山:あっ、でもそれマジ。赤トンボは波動方角に連なって飛んでいる。
保育園終わったいちこもいきなり赤トンボの話題から始まった。
もう確定!

an : 初期のファミコン、ドラクエとかのロープレで、世界の端まで歩くと、反対側の端にループする。
単純に言うと、違う次元を使ってる?
脳は次元を越えるのね。

山:その可能性濃厚。
赤トンボの場合、脳ではなく、体内に持つ中空構造かな、多分。
この会話、ガイキチチャットで続けよー。

18:26 山田貢司 アライさーん。
こないだ裏で話た、ロシアの博士の話お願いします。

18:43 アライ ロシアの昆虫学者が言ってる空洞構造効果のことですね。昆虫の持ってるキチン質を使って反重力装置も造ったというとんでもない人です。今バタバタしてますんでとりあえずリンク貼っておきます。
http://www.keimizumori.com/articles/grebennikov.html

19:15 ももすけ 画像
19:15 ももすけ 話の進展に役に立つのか、それとも話の腰を折ってしまうのか分かりませんが、赤とんぼの群れが一匹も逆走することなく海岸に沿って1時間に80万匹は飛んで行ったという話の地図です。(※私の小学校時代にも校庭が赤トンボで埋め尽くされたことがあります。それは6時間以上にも及びました。ですから、それは500万匹以上と見て良いと思います。)
石川県河北郡の光景だったようです。
http://symnet.ishikawa-pu.ac.jp/Symnet8/Symnet8_2nakai.html
赤とんぼって高山(1500~1600m)と平地を移動するらしいですね。最近見ないな。ショウジョウバエってワープしますよね。。。

19:20 アライ 昨日、きれいな色したハエが手をゴシゴシしてて、バランス崩して前まわりにゴロンと転んでるのを目撃しちゃいました(笑)
しれーとした顔で今度は後ろ足をゴシゴシしてました。虹色でしたね。

19:22 ももすけ キンバエ、きれいなのに嫌われる。。。

20:09 山田貢司 ももすけさんどうもありがとう。
この話にしても、地上だけの現象として理解する方が無理がありますよね。
因みにしょうじょうばえワープ説同意です。
さらに言えば、穀象虫の類いもワープして入り込むとしか思えない。


 2012/10/19(Fri)のこんな会話を切っ掛けに今回の思考の旅は今日10/23,24の実際の甲州塩山雲峰寺と奥多摩奥氷川神社の旅へと発展したのです。まずはこの写真をご覧ください。8月半ばにanさんが撮ったものです。
赤トンボ1
写真_赤トンボ1
赤トンボ2
写真_赤トンボ2
赤トンボ3
写真_赤トンボ3
赤トンボ4
写真_赤トンボ4
 ぼーっと観ればただの赤トンボの写真ですが、目を凝らして良くご覧ください。
 左側の羽根は2枚、上からの太陽光のために影が2枚分あります。しかし右側の羽根は4枚、これは影ではありません。各々羽根には太陽光の反射があります。そしてもし羽根を動かしているのであれば左側も右側と同様でなければなりません。さらに足、角度的に不自然に左側の足も写っているのか、右側の足が多いのか、何れにしろ7本写っているのです。羽根の輪郭からして手振れや被写体の移動によるものではないのです。
 以上のことから推測出来ることは、この赤トンボが甚だしい奇形であるか、ここの世界で現象として見えること以外に重ね合わさる世界があり、赤トンボがそこへ移動中だったかのどちらかであり、anさんによれば、この赤トンボは何処からか飛んで来たそうで、前者の可能性は極めて低く、この写真は赤トンボが次元移動する決定的証拠写真なのです。
 私は長年さいたまに住んでおります。こちらでは赤トンボはやや北よりの東に飛んで行きます。つい最近まで何処でも東に飛んで行くものと思っておりましたが、上記の情報に触れ、北陸の情報を欲した訳です。何故なら、波動力中心点が長野県佐久市付近にある可能性が高いからです。
 そして、ももすけさん情報の北陸の赤トンボが西南西に飛んで行くで、小麦とanさんが言う反時計回りの波動力と同様の赤トンボの回転が証明出来た訳です。
 そして話は進み、赤トンボが多次元空間を移動する可能性を証明したのです。さらに虫が持つ不思議な力をアライさんの情報が補足しているのです。ロシアの昆虫学者グレベニコフ教授は、1988年にある昆虫のキチン質殻には反重力効果があることを発見し、1990年には実際にその甲虫の殻を使って空を飛んでいるのです。反重力装置を完成させているのです。
 これは虫が多次元空間を移動することに直接関係しているのです。
 ここでひとまず赤トンボは置いておきましょう。続いて武田勝頼と桜です。
 桜と言えば花見、ソメイヨシノですが、ここでの桜はエドヒガンザクラです。再びバカボン一家のチャット会議からです。

2012/10/20(土曜日)
24:00 chachai あと津川断層は腰椎かもしれませんね。動いて当然というより動いていなくては。

24:02 アライ 断層が動く為にあるとしたら、それを止めるのは自然に反する??

24:02 chachai はいな!

24:03 山田貢司 そこ!問題はそこ!

24:03 ファシレ 平面ですまんが新潟の地震は…イルじゃないの?

24:04 アライ 気をキチンと流す手伝いはしても地震を止める目的ではないということでOK?

24:05 chachai はいな!

24:06 ノエル 津川断層って跡津川断層のことですか?

24:06 chachai はい

24:07 ノエル ありがとうございました。調べてみます。

24:08 山田貢司 イルミナティーそれも凄く考えた。東大、竹何とか名誉教授お墨付きのco2封入実験でしょう、でもでも必要だった気がする。今ごろ。

24:11 ノエル 地図を見るとキシッとしていて深い あ、電池切れだお休みなさい。

24:13 アライ co2封入実験調べたけど、福島県でもやってたみたいですね。水素爆発を誘発してしまうのにね…
24:15 アライ エネルギー関連だからイルの活動でしょ?

24:16 山田貢司 きっかけにはなるけど、本震はずえ~たい人工じゃない!

9:07 ノエル [画像]
9:07 ノエル おはようございます 今日はこの子(ガイガーカウンター)と一緒に旅をします。何か調べたいこととかあったら言ってくださいね
9:09 ノエル 会津の山の中 空間0.15だな 

9:10 山田貢司 単位は?
9:25 山田貢司 安達太良神社(福島県安達太良郡本宮町)にも行きますか?
9:28 山田貢司 あと、伊佐須美神社(福島県大沼郡会津高田町)
9:58 山田貢司 ノエルさん。もし、もし時間に余裕があったらいいのですが、何処かそのあたりの線量の強い土をビニール袋に入れて持ち歩き、上記の神社等所謂パワースポットで線量が変化あるのか試して貰えませんでしょうか?あっ、勿論条件を一定にするため、土とガイガーの距離を一定にして欲しいのですが。

11:34 ノエル 安達太良神社は行ったことないけど拝殿で山が本体 今回は登らないです。伊佐美神社は震災一ヶ月前に行ったら空でどうしたんだろうと思っていて震災後もお留守、本体は博士山かな 今回は中通りには行かないけれど喜多方辺りで土を探してみます。
11:49 ノエル [画像]
11:50 ノエル 単位は上にhsv/hみたいな文字 奥会津はあまり高くないと思います。
11:51 ノエル 喜多方米沢沿いにパワースポットがあれば行ってきますので教えてください。

12:01 ももすけ [画像]
12:01 ももすけ 猫魔ヶ岳山頂付近がゼロ磁場との情報があり、その山腹桧原湖(道の駅から)西5km程の大塩温泉が塩の産地。パワースポットというわけでもないですし通り道ならですが少しそれますね。山田さん寄っていただく必要ありますか?

12:35 ノエル 会津盆地から磐梯の方 眺めちう
12:35 ノエル [画像]
12:37 ノエル あ、そこなんですね 桧原湖西側、去年行ってます

12:39 ももすけ ノエルさんお疲れ様です。お天気良さそうですね。桧原湖西はパワー感じるとこなんですか?
12:41 ももすけ お気をつけて~

12:54 ノエル 神様ご在宅の山発見 古四王神社 裏山で休憩しますね

12:55 鳥声 こんにちは 鳥声です。昨日話題にあがっていた、関東の鍾乳洞からわかる波動点と富士山の関係をマップにしてみました。
「不二洞、橋立鐘乳洞、日原鍾乳洞を通る円」
E 点と A 点はほぼどういつ地点であったため、A, C, D を通る円をもとめています。(垂直二等分線の交点を円の中心とする方法、緯度経度をそのまま座標系にしているためか地図でみると楕円になってしまっています‥)
波動点はとくに山と重なったりおらず、秩父湖の近くとなっています。 上記計算方法がいい加減なせいかもしれません。
12:55 鳥声 D 点ではなく B 点を利用したマップも作成しました。
「不二洞、橋立鐘乳洞、大岳鍾乳洞を通る円」
こちらですと富士山頂が円周上にぴったりのっています。
修正案等ご意見ありましたらご連絡ください。
12:57 鳥声 違う話題で恐縮です、すみません…ノエルさんこんにちは、鳥声と申します。プログラマでして、そちら方面でお手伝いできればと参加させていただいています。よろしくお願いします

13:00 山田貢司 鳥声さん。どうもありがとう。予測していることにかなり近いです。今後ともよろしくお願いいたします。
13:12 山田貢司 ここが波動点の1つであろう場所の住所。山梨県甲州市塩山上萩原

13:21 ノエル 地名が塩っぽいところに来ました 熱塩加納 さっきの山は去年フクイチの風を頑張って止めてくれたそうです。お土産に0.23hsv/hのところで茸をいただきました。山田さんに進呈しますね。 では今日の裏仕事終わって人間仕事に戻ります。
13:21 ノエル 鳥声さまこんにちは!

13:23 山田貢司 お疲れさまでした。帰り道お気をつけ下さい。

13:23 ももすけ 熱塩温泉でゆっくりもできないんでしょうね。お疲れ様でした。お山さんありがとう。キノコ。。。^^;

13:24 山田貢司 「も」すれば大丈夫!

13:24 ももすけ ですね!

13:27 山田貢司 話戻って、鳥声さん情報の分析。大菩薩峠、裂石温泉(さけいしおんせん)、上日川ダム(かみひかわダム)あたりの情報ありませんかね。ざっとwikiは見ましたが特にでした。

13:45 chachai 塩の話なら岐阜県飛騨市飛騨市宮川町打保と岐阜県飛騨市神岡町打保は跡津川断層上の土(別名 鬼が城)を中心にそれぞれ30度ずらして配置してあるんだけど、一箇所の打保には塩甕金清神社というのがあって縄文時代の石棒が大量に出土してますこの辺をおさめてた領主も塩屋しと言って突然現れて活躍する人物。関連なかったらゴメン。

14:27 ももすけ [画像]
14:27 ももすけ まだめぼしい情報ないけど、大菩薩峠の上にある緑マークが黒川金山。ラインに乗ってますね。(赤:裂石温泉/水色:日川ダム/紫:大菩薩峠)波動には結びつかないけど、日川の下流、地図一番下の景徳院は武田終焉の地。血で川が三日赤く染まって三日血川→日川だそう。
15:06 ももすけ [画像]
15:07 ももすけ 天平17年 6月17日(745年)、大菩薩山一帯の空に霊雲たなびき、その夜にわかに大地が震動すると当地にあった大石が真二つにさけ、その割れ目から萩の大木が出現したと伝えられています。諸国巡錫中の行基がそれを発見しました。行基は目の前に見る奇瑞を、弥陀仏の示し給う霊験と感じたといいます。萩の大木を三断して、観音菩薩三体を今の雲峰寺近くの巨岩(白華岩)の上に座し、一刀三礼しながら彫ったという。一体をこの地に安置し草庵を建て、裂石山雲峰寺と名付けました。
裂石の伝説内容は、地元の地区により多少違うようです。
http://www.daibosatsukankokyoukai.net/index.html
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15:26 ももすけ [画像]
吉澄萠桜(よしすむめさくら)
写真_吉澄萠桜(よしすむめさくら)
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15:26 ももすけ 裂石の裂け目に出現した萩の大木で行基が彫った十一面観音(焼失?)が置かれた雲峰寺の桜。以上です。

16:02 山田貢司 この桜繋がりました、吉澄萠桜(よしすむめさくら)と言うそうです。
このままでも降ろせそうなのですが、場所がらさすけさんの情報を待ちたいと思います。
雲峰寺。非常に重要な気がする反面、裂石の裂け目に出現した萩の大木の方は何故か人為的な気がします。


16:29 さすけ タイなので、url開けませんが、雲峰寺は、武田家滅亡時に武田家の家宝である天皇から下賜された日の丸と、武田家の軍旗である諏訪大明神の旗、有名な風林火山の旗が、武田家滅亡時に敵の手から逃れるために納められました。
16:40 さすけ いまでも実際に旗を見れます。隠しているものがあるので、オープンなエネルギーではないです。が、僕にとっては波長の合うところ塩山では、文字通り塩の山というのがあり、そこには有名な向嶽寺があります。すこし離れるけど恵林寺。ここは武田信玄の墓があり、信玄が自らの姿を彫らせたという、不動明王があります。そして、もう一つの家宝である楯無の鎧も菅田天神に納められています。何故武田家宝が全て塩山にあるのか!
17:05 さすけ ちなみに桜はノーチェックでした(^_^;)

17:31 ももすけ 向嶽寺 http://www.rinnou.net/cont_03/13kogaku/index.htmlより抜粋
また、この門の東西には漆喰(しっくい)製、瓦屋根の築地塀(ついじべい)が配されています。由来によれば、この付近の岩塩から「にがり」をつくり、漆喰に混ぜて築地を強化したと伝えられ、「塩築地」とも称されています。なんか、前にchachaiさんがそんな工法について言ってましたね。
18:35 ももすけ [画像]
18:35 ももすけ >なぜ家宝が全て塩山にあるのか・・・
工夫を使って金を採取していた役人「金山衆」=戦略のために用いる軍用金を獲得する大きな使命と特権を与えられた軍役衆を兼ねていた。の居住地が塩山市の上萩原~於曽、熊野方面にかけてだったそうなので金山衆が常々通じていた寺社(地図の赤丸)に託した・・・って単純すぎるか。

19:38 さすけ それも、ある側面からみた正解だと思います。しかし、塩というのは変化を抑制する働きがあるのですよね。武田家滅亡時に勝頼が、そして信長が託した(封印した)何かがあるのでないかと思います。勝頼と信長は上では繋がっていたのではないでしょうか。実際、武田家滅亡後、2カ月程で信長も光秀に打たれますしね。

19:41 山田貢司 その考察、正しいと思います。って今、玉ちゃんの会に来て凄い人数でおどろいてます。

19:48 さすけ おお〜、そうなんだね。僕もいまゴルフが終わってこれから宴会です。お互い楽しみましょう!

2012/10/21(日曜日)
1:34 山田貢司 さすけさん。お知恵を借りたい。
吉澄萠桜(よしすむめさくら)の言葉。
「10歳の勝頼は父信玄の暴走(アラハバキ再生)を止めるため、私(吉澄萠桜)を通じて神の起動に封印をしたのです。傘を使い弥勒の鍵を掛けたのです。
ですからまず始めに私の封印を解いて頂きたいのです。」
って話知ってます?
1:39 山田貢司 ってわけで、anさん。火曜日は雲峰寺の桜、から行かなきゃなようなのです。

2:00 an よくわかんないけど、了解~

2:29 さすけ さすけです。残念ながら勝頼の幼少期についてはほとんど伝えられていません。10歳前後の逸話については聞いたことがないのですが、1546年生まれの勝頼が10歳の頃の武田家について考えてみました。信濃には有名な善光寺がありますが、当時信玄は越後の上杉謙信と戦っており(川中島の合戦)その戦火から善光寺を守るという名目で本尊を甲斐に移し、甲斐善光寺を興しました。一見まともな理由にも聞こえますが、ちと臭いかな?とも思いますが、ビーちゃんでしたっけ?たしか善光寺に関連してた意識体でしたよね。聞いてみては?
2:39 さすけ 次に考えられるのは、勝頼が10歳の時に彼の母である諏訪御両人が亡くなっています。諏訪御両人は、大祝、諏訪頼重の妹です。諏訪頼重は信玄に殺されますが、その妹は信玄に嫁ぎ、勝頼を生みます。諏訪御両人との結婚は家中でもかなり反対があったようです。彼女は若くして(たしか20代)で亡くなり、信玄も深く愛していたと伝わりますが、この死の裏に何かあるのか?桜と儚い命で繋げてみました。しかし、勝頼が10歳の時に実際に雲峰寺にはいっていないはずです。彼は諏訪家の跡とりとして信濃にいたはず。
桜に託したのは勝頼ではなくて、長男の義信?彼はのちに信玄と対立して殺され、それが勝頼が武田家を継ぐきっかけになります。
3:10 さすけ あっ、そうだ。諏訪御料人の墓はたしか高遠です。高遠、少し前にでてきたよね。ちなみに勝頼は高遠城の城主でした。

6:44 ももすけ さすけさん、勉強になります。勝頼、四男ですもんね。そう言えば以前chachaiさんが勝頼の血統について言ってました。chachaiさん、昨日から登場しないのが気になってるんですが、元気にしてますか~~?高遠は桜の名所。吉澄萠桜と通じる桜さんがいそうな。。。

6:56 chachai 元気でっせ!古代は桜と栗で覆われた山が多かった と以前から考えていました明治以降 全国に杉などの針葉樹を植えるケースが増えましたが、本当は照葉樹林が大方かと季節によっては、たいそう綺麗だったはずです。桜はソメイヨシノが有名ですが、山桜の方が病もつかなく丈夫です

6:58 ももすけ 良かった^^勝頼の血統なんか言ってませんでしたっけ~。

7:05 chachai オオハフリの血統が入っていると言いました。でも、その後オオハフリの血筋で利権者が出てくることを知り オオハフリ=善玉 ではないことを知り 話題凍結中です。
7:10 chachai も一つは、オオハフリに神が宿るとするならば、意識体を示す断片が何らかのものが残るはずですが、見当たらない 。

7:51 ももすけ あー、棚上げになったイサク論でしたか。でもオオハフリ=善玉でない は考察の余地あるかも。
参考までに10/5の山田さんtalk:建御名方がモリヤを使って諏訪の地を平和にした。モリヤはその実行者達、イサクは其を讃えた。

8:34 さすけ 善悪は表裏一体じやないですか〜(笑)

8:55 ももすけ さすけさん、大祝ってどこの諏訪神社にもある役職名じゃないですよね? 気になるのが江戸中期の歌人、杉浦国頭。浜松諏訪神社の大祝。浜松つながりで探したんだけど。浜松市天竜区水窪(みさくぼ)町奥領家に以前は「本永大祝商店」の名で現在は「はくりや」という酒屋さんあり。末裔? 縄文中期遺跡、信玄・勝頼が大改修して国境を守ったが徳川の手に落ちた。
8:59 ももすけ (続き)高根城、別名久頭合(くずごう)城あり、塩の道・秋葉道沿いと気になる点が水窪(みさくぼ)には多いです。近くに大鹿の地名あり。
9:00 ももすけ http://yama-machi.beblog.jp/misakubo/

10:26 さすけ 僕も詳しくはわからないのですが、神官である在地領主を大祝といったようです。特に諏訪氏だけというわけではない。アリザルに関係する言葉かもですね。

10:27 chachai この2ch
にオオハフリなど社家のことが書いてあるhttp://mimizun.com/log/2ch/history/1043927485/

10:28 ももすけ さすけさん、ありがとうございます。じゃぁ、伊予の大祝(おおほうり)一族は諏訪には関連ないかな。chachaiさん、見てみますね。ありがとうございます。うー、仕事が手につかん。

10:32 chachai あと僧が環俗して三島性を名乗った例がある。密教と社家の関連もあるようです。
10:36 chachai 三島姓は白山の麓に多いが、環俗僧の家々かも。
10:41 chachai 島を姓に持つ戦国大名。ヤクザの縄張り用語シマとの関連?

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10:46 ももすけ [画像]
ニイニイ蝉の林
写真_ニイニイ蝉の林
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10:46 ももすけ 山田さん、起きてるかな~。上の写真、今は荒れて歩けない道に変な音と共に現れる不思議な水場だそう。
http://yama-machi.beblog.jp/sakumab/2010/07/post-7046.html
10:47 ももすけ Chachaiさん、水窪近くには羽ノ庄、向市場もあります。地図作成中だけど、上の場所へつながる旧県道は佐久間ダムで水没してます。
これ見てほしい→http://yamaiga.com/road/spr288/main11.html
クシロ目線からしても臭いませんか。

10:56 さすけ いや三嶋の大祝があるからこそ、何か太古の名残じゃないかと。つまり、総理大臣とか、大統領みたいなもの?

11:06 ももすけ 国学四大人の一人、賀茂真淵は浜松の「賀茂神社神官の息子」で、11歳の頃、「諏訪神社の大祝」杉浦国頭(すぎうらくにあきら)の妻である雅子(真崎)に手習いを教わるようになった。そして真崎の夫国頭にも和歌・古典を学ぶようになり、国頭が主催する和歌会などにも参加している。
賀茂神社と諏訪神社って関係あります?ちっとも理解してない。

11:06 chachai 最近知ったことで、戦国時代の一向一揆 この勢力の応援部隊が白川を中心とした環俗僧の兵力 現地には密教勢力もいたはずだが、どちらも出陣しているようだ。 普段は宗派の違いから中が悪いが 戦争となると、話は別だ主勢力は石山以外にも山の中に潜んでいた。
11:10 chachai おそらく もう一つの戦国史 があって、彼らは相当遠いところまで応援部隊として活躍していた。

11:11 ももすけ 山の中に潜む、で関連ないかもですが、水窪町奥領家に「木地屋の墓」があって権威を持った職人集団で、ロクロ免許状や鑑札を持ち諸国を渡り歩いていた。というのが、忍者じゃないけど、何か他の任務もあって全国を歩き回ったような・・・。
11:13 ももすけ 池の写真、下に人間じゃない顔見えるんだけど・・・気のせい?

11:14 chachai サンカ集団にもいろいろあって、近年のダム問題でも利権派と非利権派とふたとおりあったようだ

11:19 ももすけ サンカ(山窩?)今に続いてるんですか。

11:21 chachai GHQの農地解放まで連綿として家柄とルールは続いていたようだ

11:26 ももすけ 社家と同じくサンカ
11:26 ももすけ も何かを伝え続けたんでしょうね。

11:29 chachai わからないけど、社家を含め多くは自らの出自の云々がほとんどのような気がします。稀に富士古文書を伝えた三浦家などのケースがあるけど
11:33 chachai 具体的な知恵みたいなものを伝えたケースはどこ見ても、欠落してる

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11:33 ももすけ [画像]
山住神社の杉
写真_山住神社の杉
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11:34 ももすけ やっぱり気になる。伊予国大山祇神社(愛媛県大三島)の大宮司(神官にあたる家柄)大祝安用。水窪の山住神社は和銅2年(約1300年前)伊予の国大山積神社より移し奉ったと伝えられる。ってことで、山住神社の杉↑↑↑
11:42 ももすけ ごめんなさい。勝頼10歳から話がそれましたね。山田さん写真2枚見てみて下さいね~。

12:33 山田貢司 申し訳ないす。自治会の草むしりさせられてました。
 まず、ごめんなさい。勝頼10歳の話、お兄さんで当りのようです。運転しながらだから精査足りなかったようです。で、となるとやはり傘持って桜参りは必要ですね。因みに傘の結界はずし方も思い出しました。

 そして写真のこと、まず水の林。これラー意識体というより、マントルと蝉の関係がこの現象を作っていると思います。やっはり次元と昆虫は深い繋がりが在るようですね。
 次の杉ですが、なにもしてない。。。。凄く大きな意識なのになにも役目を持っていません。様子を見ている感じです。まるで人間みたい。

12:45 ももすけ 草むしりお疲れ様でした^^
 長男義信:16歳初陣、川中島で活躍したが駿河攻略について信玄と争い幽閉され自害した。墓:甲府市東光寺。三男:信之は早死にを除き次男、四男(勝頼)~七男は外へを含む。
12:46 ももすけ 外へ(支配下の有力国人の元へ)養子に出された。やっぱり恨めしかったのか。。。

12:47 さすけ 義信の墓が、甲斐善光寺の隣にある東光寺にあります。ちなみに諏訪頼重の墓も同じ所にあります。時間があればセットで回ったら?

12:47 山田貢司 蝉で思い出したことです。大地と繋がり重要な意味があるのはニイニイ蝉です。地中で水を引き寄せ、木々に送り、ラー体たちの力をマントルと繋げています。だからニイニイ蝉の幼虫だけ泥だらけ。

12:48 ももすけ 水窪あたりは中央構造線沿いだから引っかかった
12:53 ももすけ 質問です。吉澄萠桜(よしすむめさくら)の言葉。「10歳の勝頼(→義信)は父信玄の暴走(アラハバキ再生)を止めるため、私(吉澄萠桜)を通じて神の起動に封印をしたのです」ってことは、信玄はアラハバキを再生させようとしたのですよね?それを義信は暴走と考え阻止した。アラハバキ再生は暴走?

13:11 山田貢司 そうです。当時は。しかし今は状況が違います。
 さすけさん、質問いいですか。義信が18歳の時は件の桜を参ることが出来ましたか? って言うのが、やはりこの封印は勝頼主導なのです。しかし実行者が兄義信とすれば、それを出来る環境にあったか否かがポイントなんです。

13:27 さすけ 当時、表向きは信玄と義信の関係は良好です。後継者の道を順調に歩んでいましたので、可能だと思います。

13:29 山田貢司 もうひとつ、義信と勝頼は会話出来る環境にありましたか?

13:44 さすけ 通説の立場をとるなら、それは否です。勝頼はあくまでも諏訪氏の後継で、甲府に一緒に生活していません。ただ、勝頼が10歳前後の話しで、義信が今川から嫁を娶ります。そのお祝いにきた可能性や、当時すでに義信は初陣を果たしていたので、信濃侵攻の途中で勝頼と会っていた可能性はあります。

14:16 ももすけ 横からごめんなさい。勝頼1546年(月日不明)生まれ。9歳?の時(1555年12月18日)に母諏訪御料人が死去のようです。

14:35 山田貢司 これで社会的にもこの史実は確定です! 貴重な情報どうもありがとうございました。

 今、勝頼さんと繋がりました。やはり傘の件を内密にお兄さんと相談したそうです。余談ですが、さすけさんのお城のことに絡むお話です。勝頼さんの幼名はシゲちゃんだそうです。そして高遠城の増築に高坂さんは絡んでないそうです。また、お父さんの部下でもあったので、結構うざかったそうです。一番の仲良しは穴山くんだそうです。
 って私にはなんのことやら?

14:45 さすけ あーそれ分かる。僕の知ってる史実とかぶる(笑)お城の件と絡んでるな〜って僕も感じていた所です。火曜日時間があったら躑躅ヶ崎の館(武田神社)にロケハンいってください。長篠の次の次は躑躅ヶ崎の館の予定だったのです。

14:45 ファシレ ももさん >じゃぁ、伊予の大祝(おおほうり)一族は諏訪には関連ないかな。
 伊予ということではばっちり繋がってますよ。

http://angelcymeeke.web.fc2.com/ryumon/a_1.html

14:51 ももすけ ファシレさん、ありがとうございます。ホントだ。武田信勝。しかもダム。クシロやってると意味ありげなところがことごとく電力関係の設備。結界結んでるんだか、外してるんだか分からないけど思惑はあるっぽいですもんね、chachaiさん。

14:56 ファシレ あら~・・ちょっと変なのに当たったので書いておきます。
 伊予の大祝氏は伊予河野氏からの出自だそうですが、その伊予河野氏についてです。
 河野氏(こうのし / かわのし)は、伊予国(愛媛県)の有力豪族で、越智氏の流れを汲むとされる。第22代当主河野通清以降は、「通」を通字とする。室町時代以降は代々湯築城を居城としてきた。一族の来歴を記した文書「予章記」はその虚実入り交じった不思議な内容(鉄人伝説など)で有名である。
14:57 ファシレ 予章記
 予章記(よしょうき)とは、中世に伊予の国を根拠として栄えた河野氏が、自らの氏族の来歴を記した文書である。
 その具体的な成立の経緯は不明であるが、現在の研究では14世紀末、おそらく1394年頃の成立ではないかとされている。少なくとも河野通義の死後に成立したことは確実と見られる。いくつかの異本があるが、最も古いものは上蔵院本であろうと見られている。最も広く流布したのは長福寺本と呼ばれるものである。
 この文書によれば河野氏の祖先は小千益躬(越智益躬)という武将とされる。小千益躬は「百済の軍勢が鉄人を押し立てて日本に攻めてきた時、鉄人の足の裏を射抜いてこれを撃退した」人物であるという。小千益躬の子孫に小千玉輿という人物が出たが、この人物の異母弟が南越国から父を捜して難波までやって来たので、越国との縁を表す為に小千の時を越智に変え、さらにこの人物(越智玉澄と名乗った)の子孫が河野氏となったとされる。

14:57 山田貢司 いい忘れました。勝頼さんの霊(意識体)所謂人間でないです。たぶんヨシヅシト絡み。天皇家な感じです。

14:59 ファシレ 勝頼・・了解・・でも鉄人って、何?

15:03 山田貢司 凄くご免なさい。伊予は武田家の誰の領地?

15:04 ファシレ 鉄人は単に鉄のよろい・・?たたらが関係あるか。
参考資料 http://makild.exblog.jp/17613560/
15:06 ファシレ トップではなかったようです。前述の伊予河野氏が主。
 武田信勝公墓所
 信勝公は伊予の戦国大名河野氏に属し、永禄5年(1562年)竜門山城主となる。天正10年(1582年)来島通総来攻により落城し、自刃す。
 嫡子信吉(富若丸)は無量寺で成人し、郷代官をつとむ子孫は代々庄屋職継ぐ。
 墓碑は、宝暦年間(1750年頃)水之上大庄屋らによって黒谷川(鮎帰りの滝)の近くに建てられ(あいがりさん)と呼ばれ祀られた。
 昭和51年(1976年)朝倉ダム建設に伴い、この地に移転し武田同族会により整備された。

15:06 さすけ ちなみに私二宮というのですが、一族は伊予出身。伊予は古事記でも淡路島の次にできた大事な地。

15:09 ファシレ そうか~
15:12 ファシレ 武田と伊予、もともと繋がってた・・
 武田氏
 室町幕府の公式家紋集である『見聞諸家紋』には、
頼義男新羅三郎義光の末孫也。従四位下。伊予守鎮守府将軍。伊予守鎮守府将軍でした。 それに伊予は安芸武田氏(広島)の真向かいだしね・・

15:15 山田貢司 淡路島と琵琶湖は言霊的に裏表の関係。。。。。。。。あっ、解った!!!! 瀬戸内海から南側は虚脳が反映している!!

15:17 さすけ ちなみに勝頼の息子、甲斐武田最後の当主も信勝なんですよね〜。シンクロ。
15:19 さすけ あっ、死んだ年も一緒じゃない?1582年。

15:21 ファシレ あら~・・どういうことだ~?

15:23 山田貢司 えっ、伊予の人と一緒と思ってたけど、どゆこと?

15:27 ファシレ 甲斐武田家は父 武田勝頼 子 武田信勝 生誕 永禄10年11月1日(1567年12月11日)死没 天正10年3月11日(1582年4月3日)15歳

15:28 chachai 多次元宇宙出入り人間ってことは? ありうる話

15:29 ファシレ 武田信勝(近江守)信濃守とも称す。伊予の河野氏に属し、1562年竜門山城主となる。1582年11月来島通総に攻められ落城し、討死したという。同年12月小早川隆景に攻められ討死したとも伝わる。

15:30 さすけ 基本的には別系統の武田家が繋がっている?安芸武田も甲斐武田と同じで新羅三郎の流れをひくのですが、信玄よりだいぶ前に別れています。河野の家臣の武田氏はどこの系統だかわかります?こたらタイがネットの環境がいまいちなんです。

15:33 ファシレ 伊予武田について。
 今治市朝倉地区にあり、元祖は武田信友(信繁弟)が一時期、広島安芸武田の銀山城主となるが、信繁の子「武田国信」との争いがあり、武田信保(長男)を伴って伊予国は越智郡竜岡村に閑居する所から始まる。
・武田信保(武田兵部小輔)は、朝倉郷太の原重城山館主 母は笠松山城主岡部蔵守の娘
・武田信高(武田備前守)朝倉「龍門山城主」大永5年没、その後を継いだのが武田信充(近江守)が龍門山城主となる。
・武田信重(備後守)信勝の兄、周布郡志川文台山城主
・武田信勝(近江守)信重の弟、母は相原主馬頭の娘、永禄5年兄に替って龍門山城主となり同11年、土佐国長宗我部元親が軍勢宇和島に乱入、伊予より300余船にて反撃、長宗我部の軍勢は国元に引き返す。
 天正10年12月安芸国「毛利元就」の謀略のため寝返った来島城主「道総」の襲来で鮎返の里で討ち死にして龍門山城は落城する。
15:34 ファシレ けっこう、ゲゲゲだ!
武田信友
時代 戦国時代
死没 天正10年3月7日(1582年3月30日)
別名 六郎(通称)、信基?
官位 上野介
主君 武田信玄→勝頼
氏族 武田氏
父母 父:武田信虎、母:内藤氏
兄弟 竹松、晴信(信玄)、犬千代、信繁、信基(信友?)、
信廉、松尾信是、宗智、河窪信実、一条信龍、
信友、他女子
妻 正室:瀬名貞綱の娘
子 信堯、娘(三浦貴久室)
武田 信友(たけだ のぶとも)は、戦国時代の武将。
略歴 [編集]
 生年は不明であるが、通説的な見解では、武田信虎が嫡男の晴信により甲斐から追放され駿河の今川氏に預けられた後に駿河で生まれた第11子とされているので、少なくとも天文10年(1541年)以降の出生と推測されている。しかし、系図上は早世したとされる武田信基に比定する見解もあり、この場合は信廉の兄であり、信虎の駿河追放以前の出生ということになる。
15:35 ファシレ モロに繋がってる

15:35 さすけ ちなみに信玄の弟も信繁!

15:39 山田貢司 え~。2つの家が名前みんな同じで、生没も一緒で、この史実が考察されてない。ってこと。

15:41 ファシレ いや、武田家は同じ名前の人が2~3人ずついるのは普通

15:43 ファシレ ここは本家筋だけだけど、まぁ同じ名前が多いのが判る!
http://www2.harimaya.com/takeda/html/t_roots.html

15:45 chachai 影武者一族だ

15:46 an 横やりスミマセン。伊予の国で思い出した話簡単に書きます。
伊予=みかん=橘
橘の紋=皇室関係
伊予の海賊に橘の紋を使った者がいた。権力抗争から何かを守るため?

15:46 ファシレ 阿波武田氏の武田信顕も1582年没!
 武田 信顕(たけだ のぶあき、生年不詳 - 天正9年(1582年))は、戦国時代の武将。子に武田信定。武田信虎の庶子。武田信玄の異母弟。
幼少期は駿河国に追放された信虎のもとで養育されたと思われるが、弘治2年(1556年)3月に三好長慶の計らいにより大和国から招かれて脇城城主となり、長慶の死後も三好長治に引き続き仕えた。 「脇町誌」には、「三好長慶が脇城を修築したのは天文2年であり、弘治2年までは三好長慶の一族である三好兼則を城主として阿波国北方の守備の任に当たらせた。三好兼則は在城20年余りの間に脇町の民政に尽くして城下の発展に尽くしたが、年老いて重責を果たすのが困難になってきたため、武田信顕と交代することとなった。」と伝えている。このほかに、阿波那賀郡桑野城主となった武田信綱(東条関兵衛の父)も甲斐武田氏と言われている。
 天正6年(1578年)、隣城の三好康俊(三好康長の子)と共に長宗我部元親の侵攻の前に降伏する。後に織田信長の四国侵攻がはじまると、三好康長の説得により、再び三好側に寝返る。
15:48 ファシレ しかし、本能寺の変で織田軍の後援が絶たれると、1582年8月に再び長宗我部氏の侵攻を受けて落城。「御見晴古城御答」によると、天正10年(1582年)8月17日に、長曽我部軍は3000余(一説には1万2千ともいう)の兵で脇城を攻撃し、城兵はわずか500程度であったが、長宗我部軍の猛攻の前に5日間耐え続けたという。そして8月22日に信顕は城を脱出し、阿讃山脈を越えて讃岐国へと逃亡するが、長宗我部軍の追撃により讃岐国大川郡で戦死した。信顕の遺体は、家臣の大塚善太夫が付近の東昭寺に埋葬した。法名は恵命院仙室等庵居士。 信顕の子・信定は、父に同行せず城に残り、16歳という若さで自害して果てたという。

15:49 an なんかスゴい、生没年表つくれますか?ももちぃ

15:51 ノエル 山から電波の届くところに下りてきました。甲斐の国武田で盛り上がりですね!明日、私は仕事しなくてもよさそうだな♪ こちらは謙信の里を走り回ってました。

15:51 山田貢司 何度もすまんです。この事実は一般化した情報?

15:52 ももすけ ノエルさん、お疲れ様です。おやまぁ、謙信!
 anさん、系図分かってないけどとりあえずこのtalkをコピペしてみます。

15:53 ファシレ >この事実は一般化した情報?
 基本、ネット検索で出てきた事象をWIKIから引用したものが多いですが、一般的なものと言えます。

15:54 さすけ 信顕、存在を知らなかった(^_^;)武田ファンとして失格ですね。

15:55 an これ、ビンゴならどこでもドア。タブー感たっぷり!

15:56 chachai マジどこでもドアありかも?

15:56 ファシレ 一度ならずも二度殺される?・・
15:57 ファシレ 影武者って話しもあるか!

15:57 さすけ 大塚善太夫も面白い。信玄の官位は大膳太夫。似ている(笑)

15:58 chachai 本当かどうか? 多次元宇宙出入りできる人は5人までちょっとだけ人格をずらして存在するらしい!

15:59 an 歴史好きな方々が、今まで触ってこなかったというのも、言霊[字面]的な目くらましとかあったりして…深読み?(^-^;)

16:01 chachai 本田親篤が二人称だったのは、弟子が確認してる。明治初期の話。

16:01 山田貢司 そういう個人的な問題でなく、日本国土上に実脳と虚脳の集合意識が各々反映していたら?

16:02 さすけ 信玄と謙信も両極、陰陽の関係だからね。そちらで気になったことあれば上げてください、ノエルさん。

16:02 an トンボはドーナツを平原として飛んでいます。武将のシンボルで昆虫は関係無い?

16:03 さすけ あっ、たしかトンボいたはず!いや、兜の飾りだったかな?

====================
16:05 ファシレ [画像]
トンボ紋
写真_トンボ紋
====================
16:06 ファシレ 三つ蜻蛉紋 伊予金子氏!
猛将、金子元宅
 天正十年(1582)、織田信長が本能寺で横死し、そのあとを継承した羽柴(豊臣)秀吉が天下人として一躍登場してきた。中国地方の大大名である毛利氏は秀吉に通じ、小早川隆景は伊予河野氏と結んでいた。この事態に際して、金子元宅は長曽我部元親に誼を通じながらも、伊予河野氏を通じて小早川隆景とも友好関係を築くことに努めている。
このように、元宅は武将としての力量もあり、時代の動きにも怠りなく、知謀をもって東予の諸勢力の生き残りに尽力していたのであった。やがて、豊臣秀吉の四国征伐が開始されると長曽我部方としてこれに抵抗した。その結果、天正十三年(1585)七月、小早川隆景らの侵攻を受けたのである。元宅は新居郡・宇摩郡の部将を指揮して高柴城に入った。一方、本城である金子城には元宅の弟対馬守らが守ったが、毛利軍の攻撃を受けて落城した。

16:07 さすけ 武田には百足(ムカデ)衆ってのがいたけど。

16:07 ファシレ とんぼ 紋の出自はこちらから
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/iyo_kaneko.html

16:07 さすけ おおっ、トンボいたか!
16:08 さすけ 貢司さん、その考察面白い。

16:10 an 山田さん、実脳、虚脳の位置関係で、皇室の重要ポイント見てみるとか?

16:10 ファシレ >そういう個人的な問題でなく、日本国土上に実脳と虚脳の>集合意識が各々反映していたら?
 まぁ、大阪冬、夏の陣がそれを表してるかも。

16:14 山田貢司 もう出てます!
虚脳=松山
実脳=出雲

そしてこのことを現代判の何かの現象で証明出来ないだろうか?

16:19 さすけ っていうか、この世界そのままなんでないの?(すみません、実脳とか虚脳とかいまいち把握してなくてただの思いつきですが)

16:22 chachai 高野山と八十八寺 イマイチか
16:25 chachai しかし、お遍路が四国で似たようなのを全国に作るというのも虚脳の実脳化に通じる

16:25 an 突然、話それます。27日、琵琶湖の日吉大社の献茶会に潜りこむことに、その後家本さんと京都でお食事することに。

16:44 山田貢司 マジな戦国時代みたい。

16:49 ももすけ [画像]
16:49 ももすけ 遅くなりました~1582年浅間山噴火して武田勢動揺したらしいです。
16:52 ももすけ くのいちanさん、おきばりやす。

16:55 さすけ あは、ひょっとして勝頼が真田昌幸の誘いを辞して岩櫃に逃げなかったのは浅間山の噴火も原因のひとつだったりして。(笑)

16:57 ももすけ Wikiには当時、浅間山の噴火は東国で異変が起こる前兆だと考えられており、さらに噴火のタイミングが朝敵指名および織田軍侵攻と重なってしまったために、武田軍は大いに動揺してしまったと考えられるとあります。

16:59 さすけ へぇ〜、勉強になりました。ありがとう。

16:59 ももすけ そんで、次々信濃松尾城主の小笠原信嶺、駿河田中城主の依田信蕃らが戦わずに降伏、穴山くんにも見限られた・・・ってボロボロやん。

17:17 ファシレ 1582年は、グレゴリオ暦が導入された年。10月4日(木)の翌日が、10月15日(金)になった!

17:22 ノエル 両極ネタ 信玄はオヤジ 謙信はオバサン 

17:51 さすけ 謙信女性説もあるくらいだから否定はしませんが、やはり謙信は女性性が強かったのかな?
17:53 さすけ へ〜、1582年っていろんな意味で大事な年だったんだね。


 話が右へ左へしながら事が進んでゆくため、サッと読んで理解するのは難しいと思いますが、また毎度のことで、すべてが繋がって大きな目的というか、その先に行動があるわけでして、バカボン一家の面々の言葉を前後しながら読み進めていただきたいのです。それではここまでの解説です。
 赤トンボの隠れた生態が解った私は、内在する力が地表で波動点となって現れていることに気付きました。同時にその力は反時計回りの渦を巻いているのです。このことを確かめるために関東一円の所謂過去のパワーポイント(鍾乳洞など)を調べました。それを鳥声さんが地図にマーキングしてくださいました。その図がこれです。
過去のパワーポイント
図_過去のパワーポイント
 このことで過去の波動点の一つが判別できたわけです。そして、ももすけさんから吉澄萠桜(よしすむめさくら)のご提案があり、その後は芋づる式に情報を引き出せたのです。これらの情報から考察出来たことは、
1、過去の波動点にはマントルと木々(ラー体)の繋がった集合意識のようなものが基礎波動を利用し、人類の集合意識とは反する方向で地球環境を整えている。
2、マントル意識とラー意識体を繋ぐ役目を昆虫が担っている。
3、我々人類の集合意識は地球コア意識(電磁軸)を利用し、木々の集合意識とは反する方向で地球環境を形成してきた。
4、過去の波動点のマントルと木々(ラー体)の繋がった集合意識を抑え込むために、各地の過去の波動点に於いて、脳意識力を使った直接的な結界が張られている。
5、次元の境目である今、上記のパワーバランスはまったく意味を成さなくなり、新たなバランスの構築が急務である。

 これらのことに気付いたため、元々知らされていた情報と加味し、アラハバキ起動準備が先の甲州塩山雲峰寺と奥多摩奥氷川神社の旅だったのです。そして、いよいよ、11/3は大宮氷川神社の番なのです。ちなみに、甲州塩山雲峰寺と奥多摩奥氷川神社の結果報告ですが、これもチャットの文章を引用しておきます。
 「桜の方はたぶんって感じなのですが、霧が晴れたと言うのが正直なところ。寺の階段を登っている時、信玄の長男(名前忘れた)の感情とリンク。親父の行き過ぎを抑えようと、たぶん祈願みたいなことをしている。
 氷川様は変化をハッキリ感じた。周りの木々の感情が優しくなった。現象としては、大地の意識(マントル)とラ―体意識が統一された。人類集合意識の中途半端な介入が切り離された。
 今のままの人類集合意識とマントル意識の解離が続けば、壊滅的地殻変動に移行する可能性大!日本国としては損な役回りだけど、日本が揺れてゆれて2つの大きな意識が馴染んで往けば、数十億単位の災害は免れる可能性大。」
と、こんなことを書いています。そして、以下は一寸サービス、これもチャットの文章です。
「桜の結界の外し方」〈イザナギ〉
1、桜の西に立つ。(礼はなし。)
2、西を向く。
3、自分の東に結界を張る。(結界は十字を切る)
4、閉じたままの傘の先を持つ。(神事中は閉じたまま)
5、西東南北の順に手首で傘を3,6,9と反時計回りに回す。
6、「ゑ」を唱え振り返り、水をやる。
7、礼。以上。
 5、の解説ですが、武田義信は傘を開き普通に持ち手を持って時計回りに3,5,8回したはずで、意味としては水の意識が地殻(マントル意識)と融合しない、影響し合わないというようなものです。anさんが言ってた、蚊帳の封印も似ています。
その正反対がこの神事です。それがマントル(波動力とラ―体意識)とコア(時間軸と人類集合意識)の融合です!

 そしてさらにこんな旅でした。
家族
写真_家族
 今帰りました。帰りに日原鍾乳洞に寄って来ました。ゼロ磁界かと思いきや大したことなかった、というのが正直なところ。
って言うか、にこぷー抱いたままの急階段登り降りがキツいのなんの。膝が笑うのではなく、二の腕笑ってます。
 帰ってきて思うのは、鍾乳洞などの所謂スピリチュアルポイントは既に過去のものになってしまったのかもしれません。何故なら、それらは今までの安定していた集合意識から出来た次元の歪みであり、既に過去の遺跡でしかないと思うのです。私の感覚だけの比較ですが、日原鍾乳洞よりも我が家の近くの田んぼの真ん中にある沼の方がよほど次元が歪んだものを受けます。
 あっ、因みに帰り道に水通しをした結果、村山貯水地周辺の緊張感は終息した気がします。

 あと一つ。この一連のことで解ったことがあります。蜜蜂です。2006年秋から世界各地で蜜蜂の失踪が相次いでいます、それは現在も続いております。この原因が解ったのです。これもチャットの文章です。
「波動と虫の関係性をan さんと考察していて気づいたのですが、蜜蜂失踪の原因を掴みました。蜜蜂たちは内在空間に避難したのです。ここの地表と地下の次元整合性のズレをいち早くキャッチし別世界(アルザル)に行ったのです。これが、多くの蜜蜂が居なくなった真相です。これから推測出来ることは、やはり地表の大きな変動があるということです。」
 非常に長くなってしまいましたが、今回の考察を通して私が思うのは、進化論などの既成概論がどれだけ人の観察力を削いでしまうか。ということです。疑問を抱いたら直ぐに行動する。これしか社会の毒から身を守る方法はないです。ご自身の目をもっと信じましょう。そして何かに気付いたら臆せず他言しましょう!と、言っている私も何でも書ければいいのですが、中にはこういうこともあります。虚脳=松山、実脳=出雲の論拠に付きましては、公序良俗を乱す恐れがあるため講演会での発表のみといたします。ご容赦ください。
 バカボン一家のチャットメンバーの皆さまご協力どうもありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。そして読者の皆さま、最後までお読みいただきどうもありがとうございました。
波動学イヌサンストリマス~序章~
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いーろいろ音楽作ってきました、新参者も早55。
しかし抱える女児二人。さらなり女房えすぱーでござい。
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いやいや浮き世は人情でござい。宵越しの銭は持たないと、
心に誓、逃げてく日銀。
色即是空、空即是色。。。。。
そんな男に私はなりたい。                   山田貢司

波動学とは現行科学のジャンルを超えて理解することが多岐にわたる為、記事の始めから読み進めることを推奨いたします。

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